その他
跡倉ナップと中央構造線異地性岩体に秘められた日本列島の歴史
【跡倉ナップの80年にわたる研究史を紐解き、中央構造線研究の現在に迫る!】
跡倉ナップは日本の代表的なナップの一つで、中央構造線の形成、西南日本と東北日本の関係、フォッサマグナの対曲を考える上で鍵となる存在になっています。跡倉ナップをめぐる問題は古くて新しい問題であり、本書ではこれを跡倉問題と呼びます。
本書は跡倉問題の研究の歴史、研究の流れを一通り見ることを目的として書かれたものであり、発表された論文や報告に基づいて研究の流れを追ったものです。
得られては失われ、たどり着いたと思えばそこが出発点、というような跡倉問題の複雑で難解な研究の歴史の、おおよその流れを記そうとした本書が、少しでもお役に立てば幸いです。
電子書籍¥4,200 小売希望価格(税別)
ペーパーバック(カバーなし)¥4,200小売希望価格(税別)
単行本(カバーあり)¥4,200小売希望価格(税別)
基本情報
発売日 | 2024年8月30日 |
---|---|
ページ数 | 346 ページ ※印刷物 |
サイズ | A5 |
ISBN(POD) | 9784764960824 |
ISBN (カバー付単行本) |
9784764907041 |
ジャンル | その他 |
タグ | 歴史・科学史, 近代科学社Digital |
電子書籍形式 | 固定型 |
主要目次
第1章 大霧山ナップと堂平山クリッペ-1910年代~1930年代
1.1 ナップとクリッペ
1.2 ナップとクリッペ-明治末期~大正末期
1.3 大霧山ナップと堂平山クリッペ
1.4 大霧山ナップと堂平山クリッペ-その後の経緯
第2章 跡倉クリッペ-1940年代~1970年代
2.1 跡倉問題
2.2 堆積岩か火成岩か
2.3 藤本治義の着眼=跡倉ナップ(跡倉推し被せ)
2.4 跡倉層とは
2.5 藤本説への疑問
2.6 藤本説から10年
2.7 藤本説から20年
第3章 下仁田構造帯-1960年代
3.1 分布と岩石
3.2 地史および近隣地域との関係
第4章 奈良梨断層と金勝山石英閃緑岩-1970年代とその前後
4.1 藤本説(1953年)が出るまで
4.2 藤本説(1953年)が出てから
4.3 原地性の認定=異地性の否定
4.4 奈良梨断層と中央構造線
4.5 吉見丘陵と中央構造線
4.6 異地性の認定=原地性の否定
第5章 小岩体発見の努力と室内分析の威力-1980年代とその後
5.1 小岩体の発見
5.2 寄居-小川地域の跡倉層
5.3 寄居-小川地域の火成岩類・変成岩類
5.4 吉見地域の変成岩類
5.5 神川-皆野地域の火成岩類・変成岩類
5.6 下仁田地域の火成岩類
5.7 下仁田地域の変成岩類
5.8 下仁田地域の西=佐久地域で
5.9 1980年代・'90年代前半の成果
第6章 中央構造線-1980年代~2010年頃
6.1 中央構造線
6.2 下仁田地域,寄居-小川地域の中央構造線
6.3 関東山地北縁部の中央構造線
6.4 関東山地北側の中央構造線
6.5 関東平野下の中央構造線
6.6 地質時代の中央構造線
6.7 内帯起源説から次の段階へ
第7章 クリッペのハイマート(ふるさと)-1980年代~2010年頃
7.1 放射年代
7.2 緑色岩メランジュ
7.3 ペルム紀石英閃緑岩と付随するホルンフェルス
7.4 白亜紀前期の花崗岩類
7.5 白亜紀前期の変成岩類
7.6 白亜系
7.7 白亜紀後期・古第三紀の火成岩類・火砕岩類・堆積岩類
7.8 吉見変成岩類
7.9 失われた地帯
7.10 古領家帯
第8章 クリッペの構造とナップの移動-1990年代~2010年頃
8.1 不整合か断層か
8.2 異地性の貫入境界
8.3 クリッペ内部の地質小構造
8.4 ナップの移動の向き
8.5 クリッペ内部の地質構造
8.6 ナップの地体構造とその形成過程
8.7 ナップの移動過程
8.8 ナップの形成時期
第9章 花崗岩質の礫の不思議-研究の歴史と共に
9.1 花崗岩地域の謎
9.2 白亜系中の礫
9.3 白亜系中の砂粒
9.4 古第三系中の礫
9.5 新第三系中の礫
第10章 跡倉問題の現在-2010年頃以降
10.1 跡倉問題の現在
10.2 大霧山ナップと堂平山クリッペに代えて
10.3 跡倉不整合か跡倉ナップか
10.4 下仁田構造帯はナップか
10.5 比企丘陵の領家帯-ナップとしての姿
10.6 小岩体の発見と分析-その後
10.7 跡倉ナップと中央構造線
10.8 ハイマートの見直し
10.9 ナップの構造と移動
10.10 ナップからクリッペへ-その傍らで
10.11 跡倉問題の「これまで」と「これから」
1.1 ナップとクリッペ
1.2 ナップとクリッペ-明治末期~大正末期
1.3 大霧山ナップと堂平山クリッペ
1.4 大霧山ナップと堂平山クリッペ-その後の経緯
第2章 跡倉クリッペ-1940年代~1970年代
2.1 跡倉問題
2.2 堆積岩か火成岩か
2.3 藤本治義の着眼=跡倉ナップ(跡倉推し被せ)
2.4 跡倉層とは
2.5 藤本説への疑問
2.6 藤本説から10年
2.7 藤本説から20年
第3章 下仁田構造帯-1960年代
3.1 分布と岩石
3.2 地史および近隣地域との関係
第4章 奈良梨断層と金勝山石英閃緑岩-1970年代とその前後
4.1 藤本説(1953年)が出るまで
4.2 藤本説(1953年)が出てから
4.3 原地性の認定=異地性の否定
4.4 奈良梨断層と中央構造線
4.5 吉見丘陵と中央構造線
4.6 異地性の認定=原地性の否定
第5章 小岩体発見の努力と室内分析の威力-1980年代とその後
5.1 小岩体の発見
5.2 寄居-小川地域の跡倉層
5.3 寄居-小川地域の火成岩類・変成岩類
5.4 吉見地域の変成岩類
5.5 神川-皆野地域の火成岩類・変成岩類
5.6 下仁田地域の火成岩類
5.7 下仁田地域の変成岩類
5.8 下仁田地域の西=佐久地域で
5.9 1980年代・'90年代前半の成果
第6章 中央構造線-1980年代~2010年頃
6.1 中央構造線
6.2 下仁田地域,寄居-小川地域の中央構造線
6.3 関東山地北縁部の中央構造線
6.4 関東山地北側の中央構造線
6.5 関東平野下の中央構造線
6.6 地質時代の中央構造線
6.7 内帯起源説から次の段階へ
第7章 クリッペのハイマート(ふるさと)-1980年代~2010年頃
7.1 放射年代
7.2 緑色岩メランジュ
7.3 ペルム紀石英閃緑岩と付随するホルンフェルス
7.4 白亜紀前期の花崗岩類
7.5 白亜紀前期の変成岩類
7.6 白亜系
7.7 白亜紀後期・古第三紀の火成岩類・火砕岩類・堆積岩類
7.8 吉見変成岩類
7.9 失われた地帯
7.10 古領家帯
第8章 クリッペの構造とナップの移動-1990年代~2010年頃
8.1 不整合か断層か
8.2 異地性の貫入境界
8.3 クリッペ内部の地質小構造
8.4 ナップの移動の向き
8.5 クリッペ内部の地質構造
8.6 ナップの地体構造とその形成過程
8.7 ナップの移動過程
8.8 ナップの形成時期
第9章 花崗岩質の礫の不思議-研究の歴史と共に
9.1 花崗岩地域の謎
9.2 白亜系中の礫
9.3 白亜系中の砂粒
9.4 古第三系中の礫
9.5 新第三系中の礫
第10章 跡倉問題の現在-2010年頃以降
10.1 跡倉問題の現在
10.2 大霧山ナップと堂平山クリッペに代えて
10.3 跡倉不整合か跡倉ナップか
10.4 下仁田構造帯はナップか
10.5 比企丘陵の領家帯-ナップとしての姿
10.6 小岩体の発見と分析-その後
10.7 跡倉ナップと中央構造線
10.8 ハイマートの見直し
10.9 ナップの構造と移動
10.10 ナップからクリッペへ-その傍らで
10.11 跡倉問題の「これまで」と「これから」